DELscrewのロゴ イモネジ(止めネジ)の専門メーカー・斉田製作所
小さいイモネジの専門メーカー
有限会社 斉田製作所
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品質管理は、時系列管理の CS で

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時系列管理のカウント・セレクター(CS)で、部品の品質管理を!

 小さいイモネジの専門メーカーの弊社では、自動旋盤は、夜の間は無人で加工を行っています。昼間の加工時間は8時間、夜間の加工時間は16時間です。
8型のカウント・セレクター  そこで、部品の品質管理を時系列で行うために自社開発したのが、カウント・セレクター(Count Selector : CS)です。
 カウント・セレクターには6型と、8型(右の写真:クリックで、大きく表示します)が有り、6型は6個の、8型は8個の缶を備えています。  (長文ですが、「カウント・セレクターの誕生物語り」、はこちら)

 製作中の部品を受けている缶に、一缶数として設定した部品が出来上がると、上から見て時計回りに1ステップだけ動いて、缶(入れ物)を自動で交換します。 一缶に入る部品の一缶数の設定は、1,000個にも、10,000個にも、缶から部品があふれない限り、自由に設定できます。 CSリレー制御盤の扉

 右は制御盤の扉の写真ですが、真ん中あたりに横一列で8個+1個の赤いランプが並んでいます。今は、1番のランプが光っています。(写真はクリックで、大きく表示します
 8型の CS で説明しますが、8番目のランプが点灯している時は、8番目の缶に加工中であり、その8番目の缶に製品が一杯になると、8番目のランプから少し離れた『マンパイ』ランプが点灯し、『CS満杯』として自動旋盤を停止させます。

 また、制御盤の扉の、左下側の黄色い押しボタンスイッチ(歩進スイッチ)を押すと、一回押すごとに赤いランプが右に進んで(歩進して)行きます。
 今、1番のランプが光っていると言う事は、残り7缶は空缶だと言う事です。そこで歩進スイッチを押して、5番のランプが光るようにすると、5番・6番・7番・8番の4缶を作ったら機械を停止します。一缶数×4 個の部品を製造して終了します。

 カウント・セレクターを使って部品の品質管理を時系列で行うと、夜間の寸法変化や、工具の磨耗状況が管理し易くなります。
 万が一、夜間に途中でバイト欠けなどで部品の品質不良が発生しても、良品だけの缶と、良品と不良品の混入している缶とを、缶別に切り分ける事が可能となり、より安定した部品品質が保てます。

 夜間の16時間に加工した製品が一つの大きな缶(入れ物)に入っていたのでは、時系列での部品の品質管理は不可能です。

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カウント・セレクターの誕生物語り

 小さいイモネジの専門メーカーである弊社の創業間もない頃の話を、少し長くなりますが、お聞き下さい。

 第二次世界大戦の終戦が、1945年(昭和20年)8月15日です。それから19年後の1964年(昭和39年)10月10日〜10月24日に、東京オリンピックが開催されました。
 女子バレーボールでは「東洋の魔女」が日本に金メダルをもたらし、マラソンでは「はだしのアベベ選手」が優勝し、同じマラソンの円谷選手、柔道ではオランダのヘーシンク選手が思い出されます。

 弊社はその3ヵ月後、1965年(昭和40年)1月に先代の社長(斉田 孝)が、自動旋盤メーカーの野村精機を退職して創業しました。

 最初は、自宅横に木造の工場を作り、従業員は、父親(斉田 要之助)と母親(斉田 マキ)と高校3年生の私(斉田 孝次)、の3人だけ。 社長以外は全員が素人です。私は1965年(昭和40年)3月7日の卒業式までの間は、学校へ行かない時や、学校から帰ってきてから工場を手伝いました。
 その後2〜3ヶ月して、3人ほどの従業員が入社しましたが、2人は長くは続きませんでした。その中の16歳で入社した1人は44年間勤め上げ、2009年2月に60歳の定年を迎えました。 定年後もパートタイマーとして勤めていましたが、2014年に65歳で退職しました。彼は合計49年間、本当にご苦労様でした。

 創業した時、設備としての自動旋盤は、退職金代わりに野村精機から貰ってきた、中古の「P-8型自動旋盤」が12台だけでした。 それらを灯油で洗ってペンキを塗って、再組み立てをして使いました。この頃は、機械改造をしている余裕は無かったのです。
 他の設備は、ボール盤、ペンチレース、グラインダー、中古の超硬刃物研磨機、カム取り旋盤、手作りの製品乾燥機(200ワットの電球を上から吊るした)、等でした。

 朝の8時から夜の7時までは機械を回し、晩ご飯を食べて少し休憩し、夜の8時頃から部品を洗って乾かし、検査をして袋詰めしました。 母も食事の後片付けが終わると手伝ってくれ、全部が終わるのは、いつも夜中の12時頃でした。皆、若かった(父:60歳、母:49歳、兄:31歳、私:18歳)から続いたのでしょう。 母は今(2009年2月)92歳で元気で、斉田製作所の現在を喜んでいます。4月には93歳になります。

 そんな素人集団での創業後6ヶ月経った頃、我々従業員にとってとんでもない事が起こりました。
 たった一人の自動旋盤のプロである社長(斉田 孝)が、野村精機の依頼でアメリカに2ヶ月間の出張に出掛けたのです。残されたのは、この仕事を始めて、たったの6ヶ月しか経っていない素人ばかり。今でも、よく乗り切れたものだと感心いたします。
 でも、この時に野村精機から出向で来ていた人が、将来の斉田製作所にとって無くてはならない人になったのでした。万事塞翁が馬、ですね。 カム取り旋盤

 カムはこの頃から、自社で設計・製作していました。カム設計をするのは、社長でした。カム展開図をA3 の方眼紙に書いて、そのまま現場に出していました。A3 の方眼紙をコピーする青写真コピー機は、この頃はまだ持っていませんでした。
 カムはボール盤とグラインダー、カム取り旋盤(右の写真:クリックで、大きく表示します)を使って製作していました。
 私も教わりながら、作りましたが、1セット(カム 4 枚)作るのに 6 時間以上の時間が掛かったと記憶しています。随分、ゆったりとした時代でした。

 4年後の1969年(昭和44年)3月、現在の場所に鉄骨の第一工場を建てて、引っ越しました。この頃の従業員は、家族も含めて10人ほどになっていました。
 この年の夏に、1台目の材料自動供給機(オートバー)を導入しました。
 この頃は、材料自動供給機のメーカーは「アヅマ電機」と「育良(いくら)精機」の、2社だけでした。
 どちらのメーカーのを買うのか?若かった(22歳の)私は、この選定に関わっては居りませんが、育良精機のオートバーの方が、ず〜っと安かったと聞いています。
 そして、育良精機のオートバーが納入された時、自動旋盤との接続が上手くできずに時間だけが過ぎて行き、育良精機の人達 3 人がかりで夜中の12時を過ぎた事を今でも鮮明に覚えています。今から思うと多分、結線のミスだったのだろうと、思います。

 この育良精機のオートバーは、今から考えますと、弊社と私にとって『とっても有り難い存在』、『無くては成らなかった存在』だったのでした。
 その理由は、

  • 育良精機のオートバーには、下記のような機械構造の不具合があったから。
    @ 前進していた送り矢を後退させるクラッチの連結部が、オスとメス、共に三角形の歯形をしている。
    A クラッチを接続する動力源が、ACソレノイドである。
    @とAの組合せだと、残材を後退させる時に、AC ソレノイドが ON するとオスとメスの三角形の歯が一気に噛み合い、かみ合い方によっては残材を前方に押してしまい、突切りバイトが欠けてしまうのでした。
    これには先代の社長が改造設計を行い、@のクラッチ部をテーパー・クラッチに改造して対応しました。
  • 育良精機のオートバーには、制御回路の不具合があったから。
    具体的な不具合は、忘れてしまいましたが、全体的によろしくなかったのを覚えています。
    これには、内部の制御回路を全部取り外し、自社で新たに設計・製造した制御回路と交換して対応しました。
 この時の制御回路の設計が、弊社と私にとって初めてのシーケンス回路設計でした。これが無ければ、私はシーケンス回路の設計が出来なかったかも知れません。そういう意味で育良精機のオートバーは、弊社にとっても、私にとっても、『とっても有り難い存在』、『無くては成らなかった存在』だったのです。
 この頃(1970年8月)に設計した電気リレー(シーケンス)回路図が残っています。私は23歳になっていました。

 私の設計は、この育良精機のオートバーのシーケンス制御設計の後、カウント・セレクター(CS)のシーケンス回路設計、パソコン(IBM5550)のBASICによる受注・入出庫・在庫管理のプログラム設計、PLC(プログラマブル・ロジック・コントローラー)の設計、マイコンによる機械制御設計、と続きます。
 厭味に聞こえるかもしれませんが、私にとっては『育良精機のオートバー』が、私に『今の私』を与えてくれたと思っています。感謝です。


(ミニ知識)
  • 「アヅマ電機」の材料自動供給機の商品名が、「オートバー」です。
  • 「育良精機」の材料自動供給機の商品名は、「バートップ」です。
    しかし弊社が始めて導入した頃は、「育良精機」には商品名は無かったのです。
    その後、何年かしてから「バートップ」と言う商品名になりました。
 我々の業界では、「オートバー」は化学調味料の「味の素」と同じで、材料自動供給機そのものを指します。そのアヅマ電機さんは他の企業を買収し、「アヅマ・シマモト」と成長しました、がしかし、2009年現在、この会社は存在しません。

 それまでは、自動旋盤といえども一本の材料の加工限度になると、自動旋盤の中に残っている残材を作業者が抜き出して、新しい材料を入れるという材料交換作業をしていました。その材料交換が、自動盤作業者の主な仕事でした。

 一本の材料がなくなる時間で、その頃一番短かったのはカーラジオのチューナー(選局)部品の『コの字ピン』を作っていた時の、5分弱でした。
 一番長かったので、材料一本が40分くらいだったと記憶しています。
 その為、作業者の居なくなる夜間は自動旋盤は休止状態になっていたのです。

 また、弊社ではオートバーの導入以前、材料で1〜6本位の部品を作ると、部品を入れる『ザル(入れ物)』を作業者が入れ替えていました。
 夜間の無人運転はしていなかったので、全ての部品を作った順に『ザル(入れ物)』で時系列管理ができていました。
 出来た『ザル(入れ物)』のまま、洗滌 → 検査 → 袋詰め、が行われていました。
 ところが、オートバーが導入されると、自動旋盤は無人で一晩中でも稼動し続けました。生産性は一気に2.5倍にもアップしたのです。

 ここで、問題が起きました。一晩中作った部品は、大きな『ザル(入れ物)』に入れないと、こぼれてしまいます。
 大きな『ザル(入れ物)』に入ったその中の部品は、時系列管理ができません。夜中や朝方(am1:00頃や、am5:00頃)に不良部品が出来た時には、大きな『ザル(入れ物)』に入った部品の上の方だけを手ですくって不良部品を捨てて、残りは生かしていました。これでは部品品質の安定は、望むべくも有りません。

 その頃は、不良部品に対して、今ほど厳しくなかったのです。
 でも、それでは余りにも情けない。

 そこで私は、『ザル(入れ物)』を自動で交換する機械を考えました。自動お茶給仕機などに使われているような、積み重ねられた紙コップ(ザル)をマジックハンドで取り出して、一杯になったザルと、空のザルを交換する。その頃、安川電機で作っていたマジックハンドを検討しました。 6型カウントセレクター

 しかし、機械の構造設計が上手く行かずに私が悩んでいた時、先代の社長(私の兄)斉田 孝にその話をしましたら、いとも簡単に現在のカウント・セレクター(CS)の構造を設計・製作してくれました。(右の写真は6型のCSです)
 そんな具合に、カウント・セレクター(CS)を必要になったのは、オートバーが複数台入った1971年(昭和46年)頃でした。
CSリレー制御盤の扉  カウント・セレクター(CS)の制御装置は、リレーとタイマーと電磁カウンターを組み合わせて設計・製作しました。
 左は制御盤の扉の写真、右下は内部の写真です。(クリックで大きく )

 このカウント・セレクター(CS)は、他の自動盤工場へ2台ほど販売しましたが、この商売は上手く行きませんでした。
 そんな折、秩父の 巴精工株式会社には図面とノウハウとを一括して販売し、巴精工さんでは自社でカウント・セレクター(CS)を製作し設備しました。また、その後デルチップ(自動切り粉排出機)も多数台買って頂きました。 CSリレー制御盤の内部

 弊社での上記制御装置には、カウント・セレクター(CS)の制御以外に、下記のような安全装置も設計・設備しました。

  • CS満杯安全装置・・・6缶(8缶)出来たら、機械を停止する。
  • ねじ切り安全装置・・・ねじ切りが行われたかを、監視する。
  • 一本の材料取り安全装置・・・一本の材料加工時間を、監視する。
  • オートバー交換安全装置・・・材料交換時間を、監視する。
  • 残材安全装置・・・残材を引き抜いたかを、監視する。
  • 主軸サーマル監視・・・主軸に過負荷が掛かったら、機械を停止する。
  • キリ折れ検知・・・キリ(穴明け工具)の折れを検知する。
  • 潤滑油不足の監視・・・潤滑油が少なくなったら、知らせる。
 カウント・セレクター(CS)は、生産性のアップと、部品品質の安定に、現在も大きく貢献しています。

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